お客様とプロとアマ
ハイめんどくさくてやってませんでした!前の記事から50日以上経ってる!すげえ!
ブログってやつは構えないで脳ミソから直接垂れ流した方が良さそうですね。どうせ誰もみねーし。
たぶん適当に流行ってる感じのエントリ?を拾ってなんか言うのが普通っぽいのでちょっと思うところがあったものを引用。使い方あってんのかなこれ。
いつも言われる
「動画再生が伸びたからってプロにはなれない」
「こんな事をしてあなたは将来どうなりたいの?」
別に動画が伸びたらプロになれるなんて思ってないし、繰り返すけどプロになりたいわけじゃない。(ついでに言うけど思い上がるほど再生も伸びてない)
プロじゃないから趣味っていうんだと思ってた。
だったらどうなりたいの?って言われてもなぁ…返答に詰まりまくる。
趣味ってそんな事考えないとダメ?
まずプロとアマ(趣味)の違いについて言うと、要するにそれでメシ食ってるか、つまり職業としているか否かの違いだ。んでプロの評価軸は、つまるところ数字で、アマの評価軸は本人が楽しいか否かだ。よってプロとアマに上下関係はないし、どちらが上というものもない。
例を上げると営業活動大好き!得意先との交渉超たのしい!でロクに数字上げてこない営業はゴミだし、仕事でもないのに嫌々人の家に何かを売り込んで死んだ魚のような目をしてるやつは頭がおかしい。わけがわからなくなったが、とにかく評価軸が違うのでアウトプットの出来が違えど立場そのものに上下関係は成立しない。
ではなぜ引用元のような返答に困るズレた質問(と言う名のバッシング)が来るのか。
相手は客の評価軸で見ているから。
客にとっては評価軸は基本的に一つだ。最終的な自分が受け取るアウトプットの出来が良いいか否か。それだけである。この評価軸は提供する側も受け取る側に回った時は共有している感覚なので、なまじ理解できてしまうだけに混乱を招く。
プロというものは評価軸のなかの一つの判断基準でしかないが、彼らの利益を保証する事を表す便利な言葉なためしばしば利用される。アマしか居ない世界では別の言葉で言い換えられるし、いわゆる「プロ顔負け」などと言われる人のアウトプットには彼らは満足して何も言わない。
そして彼らの利益とならないものたちに対して怒り狂う。当たり前だ。そのものの出来が悪い上に他を探す際の邪魔になるのだ。彼らにとっては出来の悪いものは存在そのものが許せなくなる。そこで通告されるのが「俺の利益になる水準まで上達しろ、でなければ消えろ」の二択という訳だ。
つまりこうした提供者と受け手との齟齬はお互いの評価軸の違いから来ている。プロとアマは対立軸に存在しないし存在し得ない。提供者は「俺は自分が楽しくなると思ったから出してるんだ!ウダウダ言うな!!」と怒り、受け手は「俺は優れたものを探してるんだ!邪魔だから出てくんな!!」と怒りケンカになる。
で、最後になったがどちらが悪いのか。それは場所による。仮にプロの集まる美食倶楽部でたばこの臭いが付いたあらいが出てくれば海原雄山が「このあらいを作ったのは誰だあっ!」と怒り狂うのは当然だし良三君は放り出されて然るべきだ(元々雄山の集まりだし)。ではサラリーマンのおっさんが土曜に買ってきたバックの刺身に海原雄山が出てきて「 このあらいを作ったのは誰だあっ!」と怒り狂ったらどうか。俺だったら口いっぱいに桑の実詰める。