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kakaku01の日記

サラリーマン。文体はノリで変わります。

映画「クロニクル」 ひたすらに哀しい青年期の物語

今まで全然映画とか見に行かなかったのにまた映画見たよ。つっても前映画見に行った時に目について良さそうだったから見たんだけども。

今日はポエミィ。

 

映画『クロニクル』オフィシャルサイト

 

 

超ざっくり説明すると、高校生三人が超能力を得て人生が狂う話、なんだけど、公式のプロダクションノートにも書いてあるとおりファンタジーやSFではなく若者を描いたストーリーだ。男の思春期~青年期の悲劇を描いた作品といってもいい。超能力は映像演出上のパーツに過ぎず(とは言っても、見どころの一つではあるが)、普遍的な「力」を象徴化したもので、どのような理由で青年がその力に溺れていくかがカメラを通して淡々と語られる。

物語の中心に立つアンドリューはアル中の父親、寝たきりの母親を持ち、さらに高校では友達どころか不良にからかわれる始末と、踏んだり蹴ったりの人生だ。なるほど悪堕ちするにはおあつらえ向きだな、といった感じのいかにもな設定だが、面白いのは彼の人生は超能力によって大幅に好転するのに、彼自信の暴力性によって全て失うことだ。

テレキネシスでどんな重いモノでも動かせられる、空が飛べる、外からの攻撃も防ぐことができる、繊細な動きも思いのまま、そんな神のような力を持っていれば作中訪れるどんな困難も誰も傷つけずに容易く乗り越えられたはずだ。しかし彼はひたすらに誰かをぶっ飛ばす方向に力を行使していく。何故か?すぐ手を出す父親を持ったからか?不良に殴られたからか?

作中でアンドリューは自分が他人からどう思われているかを気にするセリフを頻繁に口にする。また男性的な性に関する事柄に対するコンプレックス、そして物理的な強さに大しての執着心など、青年期らしいオスの本能的な欲求を強く見せる。要するにナメられたくないのだ。ナメられたくないのにナメられて、それを覆す手段があれば、行使せざるを得ない。彼が持つ背景も、親がどうとか友達がどうとかというよりは、自尊心が保たれているか保たれていないかを説明するもので、そこが力を手にした時に好転するか破滅に向かうかの分岐点に思える。

アンドリューが後半ひたすら非合理的な暴力手段に走り続けたのは、それまでに散々に損なわれた自尊心を取り戻すためだったのではないか。自尊心を粉々に打ち砕かれ、自分に全くの自信が持てなかった彼は、自分と他人がどっちが上でどっちが下かを明示的な手段で確認せずには居られなかった。そうした攻撃性を向ける度に物語は破滅へと向かっていく。

終盤は激しい超能力バトルが繰り広げられるが、この頃にはもう物悲しい思いで興奮してる場合ではなくなっている。とくに最後の父親のセリフは、的を得ているだけにとんでもない悲劇だ。

 

感動するという言葉は得てしてイイ話に使われるが、感情が動くという意味であれば、沈痛な方向に感情が大きく動く本作もまた、感動作と言えるだろう。

自尊心を傷つけるということは、攻撃性にエサをやるような行為かもしれないと、帰りのエレベーターで他の客同様に重苦しい顔をしながら思った。