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kakaku01の日記

サラリーマン。文体はノリで変わります。

「こうやりなさい」はタイミングによっては最悪。

モノの教え方の話題が盛り上がっている。

 

「好きに書きなさい」はタイミングによっては最悪。:島国大和のド畜生

「やり方」を教えること - Ohnoblog 2

 

「自由にやれ」はともすれば教育とも言えない作業に成り下がる。ちゃんとした技術を教えなければ創造性を発揮することはできない。

全くその通りだと思う。

仕事だって社内の「いつものやり方」をベースにするし、無ければ「世間一般のやり方」に沿う。ヘンことをしたくないし、車輪の再発明も無意味だ。その上で今回のケースに最適化を試みるし、今後も有効な方法になれば新しくマニュアル化する。

趣味の話だが私は対戦ゲームをやる時はまずトレーニングモードに篭りwikiを熟読し対戦動画を見る。セオリー通りのことが一式できるようになってその意味を理解できるようになると、自分でちょっとした理論を持って創意工夫を始める。(結果が伴うかはともかく。)

いわゆる「守破離」のプロセスを結構いろんなことに当てはめて実行している。

 

そうするようになった今、学校に通っていた頃になんでちゃんと技術を教えてくれなかったんだと不満を覚えることはままある。

 

自身の経験では中学生時代にやっていた剣道が印象的だ。ちゃんとした技術も教えてもらったこともあるが、追い込みばかり続ける稽古は疲れるばかりでなんの上達にも繋がっていないように思えた。近年剣道4段~5段あたりの人からこの話をしたところ、苦笑いと共に「まあ…体力はつくんじゃない?」と言われやっぱり意味ねーじゃねーかと疑惑が確信に変わった。

当時一番上達に役立ったのはひたすら上手い先輩と一本ずつ同時に面を打ち合う稽古で、これは指導を受けたわけではなく先輩が勝手に始めたものだった。一振り一振りに集中して、時間を掛けてあーでもないこーでもないと繰り返す。理論と実践の反復稽古だったし、実際面だけは多少上手くなった(全然弱かったけど)。あまり楽しみを感じなかった中学の剣道の稽古で、数少ない楽しかったと思えたものだった。

 

ということもあったように、ガチャプレイなんて上達しねーしつまんねーしいいこと無いぞみんなwiki見ろwiki。という結論を出して終わりたかったのだが、ひとつだけ反論となる経験が存在してしまっている。

 

ゴルフである。

 

私の両親はかなりのゴルフ好きだ。私も小学校の頃からクラブを買われ、練習場にはよくつき合わされて来た。中学を過ぎたあたりからちゃんとしたゴルフ場にも連れて行かれ、今でも帰省すると連れて行かれる。

私はゴルフがあまり好きではない。

なぜか。それは私が打つ度に父親がフォームの修正にかかるからだ。小学校の頃から私はそれが嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で今でも嫌だ。多分私がゴルフと聞くとげんなりするのはゴルフという競技ではなくて指導してくる父が嫌なのだ。

頼むから好きにやらせてくれ。わからなかったら聞くから。いや聞くほどのモチベーションもない。ただボールが綺麗にすっ飛んで行ったら気分はいいからただそれだけを自由にやらせてくれ。

 

常識的に考えれば父親の教えを素直に聞くべきだ。たとえ教え方が悪かったとしても、ド素人には役に立っていたはずだ。

もしかしたらちゃんと理論を知り実践の中で反復練習していけば上達し、その楽しみも理解できたのだろうが、私はそれを拒否したし今でも嫌がっている。

ゴルフは趣味である。私にとってはそもそもゴルフは家族付き合いであり、趣味の領域に到達していない。趣味でないことを無理やり教えられるとどうなるか。こうなる。なった。

 

国語や数学のように学校教育の中で必須のものとして子供の好き嫌いに関わらず教えるものは技術を教え込んだほうが良いし、ましてや低いモチベーションで自由にやらせても効果は薄いだろう。

しかし趣味の世界ではそもそも好きになることが目的であり、その好きを深めるために技術があるので、技術を一生懸命教えても面白さが伝わらなければ失敗である。とりあえずストリートファイターをやってみたいという人に各キャラのフレーム表を見せてもウンザリされるだけだろう。

まずは楽しいと思わせるのが全てで、楽しいと思ってガチャガチャやってる内は放置してあげた方がいいと思う。自分で考えなしで遊ぶのに飽きた頃に理論や技術・セオリーを教えてあげると食いつくはずだ。

 とまあ、ブックマーク先とは大して関係ない話題になってしまったが、そんな話である。