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kakaku01の日記

サラリーマン。文体はノリで変わります。

あなたと社会とアンドロイドの絵

人工知能学会誌の表紙の話でずっとキレてる。

個人的にAI方面の話がちょっと好きなだけに激ぉこである。

 

 ほとんど全方位にキレて周ったので、過程をすっ飛ばして一番理性的な批判に対して書く。他は本当に話にならない。

 

 

togetterだとホントひどいなコレ話になんねえ。って思ったけどたまたま他のツイート見たらずいぶんマトモな事言ってて良かった。何の人か全然知らないけどまあ芸術?でメシ食ってるみたいだから表現の自由ナニカシには詳しいのだろう。

 

で、それについて疑問。

「無自覚」とは何に対して無自覚なのか。社会なのか。それともあなたか。

 公共の場に提供されるものは、社会に対して配慮は行うが、あなたに対して配慮はしない。ポリティカルコレクトなものとは、あなたや私に対しては全くの無関心であり無思慮であり無自覚である。そしてそのことは問題ではない。

言うまでもなく、このツイートや他の似たような発言の「無自覚」とは社会の、特に女性に関わる性差別の存在に対して「無自覚」であると主張しているが、その主張に至るまでに複数のハードルを越えなけれなならない。

まず第一に、鑑賞者はあの絵を見て、「女性型ロボットが掃除を強制させられている」と捉えなければならない。でなければ次のメッセージに当てはまらない。「自室の掃除」などと捉えてはいけない。

第二に、女性型ロボットを現実の女性の姿として捉えなければならない。仮に第一のハードルを越えたとしても、「ロボットは家事をすべきである」と捉えては上記の主張につながらない。

こうしたハードルを越えてあの表紙を「(無意識的な)女性への差別」と解釈する人間がどれほどいるのか?一人だけとは言わない。全くの少数とも思わない。だが社会全体へ向けて、表現を規制する方向で「自覚しろ!」「配慮しろ!」と言うには相当に慎重になるべきだが、本当にあの表紙の絵は女性の家事労働への強制を表現していると一般的な感想として受け取られるのか?

 

 

こと差別に関する諸々の批判についてはその話題のナイーブさ故に、本当に公共の福祉に反していると判断して批判されているのか疑問に思うことが多い。トークンブラックは人種差別の解消に何の役にも立っていない。