kakaku01の日記

サラリーマン。文体はノリで変わります。

現代の"敵"

頭が悪いなりにぐでーっと考えた、それっぽい話。

 

日々ぼんやりとホットなエントリとそのブコメを見ていると、記事をあげる人やブコメとかスターとかつけてる人の傾向がなんとなくわかり、その人ごとの政治的立ち位置とかが見えてくる。あの人はTPPには反対だけど靖国参拝には賛成、この人はジェンダーには随分左に寄ってるが経済面ではかなり右だ。あの人ダジャレしか言ってない。などなど。人を個別に追っていくと右翼と左翼で簡単にカテゴライズできるもんでもないし、右と左の対立というのも一概に言えないな。と思う。

よくホットエントリに上がってくるものの一つに、ひどい記事がある。右だか左だかのどちらかに非常に寄った、理屈の合わない記事。そうした記事には反対陣営からは山ほど批判が付くが、本来擁護する立場からは何もない。逆に物議を醸すような、どちらが正解とも言えない議題となれば両陣営喧々諤々の議論(一方的に言い合ってるだけだが)になる。こないだの人工知能学会の話は自分も随分方々で言いまわったものだ。さて、なぜひどい記事には意見の近しい人たちが擁護に回らないのか。答えは簡潔で、結論が近くてもロジックが全く違うからである。こんなものを擁護しても旗色が悪くなるだけだし、何より自分自身がその内容にウンと言えない。私は原子力発電というものに関しては消極的だが、「日本中は放射能を浴びて(放射線と区別ついてない)おかしくなっている!情報は何もかも政府にコントロールされている!!」という連中は本当にウンザリするし、見かけたらなるべくブッ叩くようにしている。逆に積極的な人たちも経済効果の話をしたいのに隣で「フクシマ(カタカナで書く奴嫌い!)の男達の努力を無碍にするのか!!」とか言ってる連中が居たら辟易するだろう。

こうした姿を見ていると現代の敵は右でも左でもなく反知性であると思う。反知性的なものとは知識のない人間ではない。誰だって知らないものは知らないし、間違いも起こす。反知性とは知を軽視する人間だ。客観的事実や論理の積み重ねより、他の何か(大抵己の感情)をより上位のものとして捉える人たちである。彼らは議論において理屈・事実・論理などより大切なことがあると本気で信じている。なのでその主張はロジカルではないし、破綻を指摘されても気にしない。彼らにとって問題はそこではないのだ。

反知性主義は右にも左にも等しく毒として作用する。そうした人たちが暴れまわると意味のない罵倒や破綻した主張が繰り替えされ、対立陣営が無駄にその論破に力を費やし、第三者は提示された問題に愛想をつかして離れていく。なされるべき議論が進まない。

こうした人は最近増えてきた気がする(元々居たのが可視化されただけかもしれないが)。専門家や学者の権威が落ちているのかなとか、インターネットにより誰にでも発信が容易になり~とか、色々考えられるが、よくわからない。

 

ともかく、こうした人たちに対処していくのが現代の課題なのではないかと思う。昔は「外野は黙れ」で封殺できたかも知れないが、これが健全なやり方でないのは言うまでもない。何かの問題に関する議論を破綻させる存在は、こと民主主義においては極めて危険な存在ではないだろうか。