kakaku01の日記

サラリーマン。文体はノリで変わります。

年功序列は、人事考課の敗北かも

はい…すみません…あとでちゃんと書くんで…

 

書きました。こういった姑息な手段を使わないと連続更新できないぐらいにネタ尽きてます。ちょうどやってるゲームが終盤で終わらせたかったのもあるけど。

今回は会社組織と役職の話。最近サボってばっかだったので長めに書きます。

 

「リーダーを目指さない」という選択肢 - 脱社畜ブログ

 

そもそも、「ある程度の年齢になったら必ずなんらかの管理職になれる」という考え方自体が相当古い。管理職と言うのはピラミッド型組織でいうところの上のほうにいる人たちで、席の数は限られている。一方で、今後の人口構成は逆ピラミッド型になろうとしているわけなのだから、中高年を全員管理職になどできるわけがない。「年齢を経れば管理職」というやり方に限界が来ているのは明らかだ。

 

その考え方が相当古い会社に勤めている私ですが、確かにこのやり方には限界が来てる。もうポストのために管理職を用意してるんじゃなくて管理職を用意するためにポストを作ってるレベルで破綻してきている。最近は女性管理職もやかましく言われているので枠を設けようと頑張ってる模様。頑張る方向性違わないか?

現場でバリバリと活躍し、周囲からも一目置かれるようになると、いずれそういう人はリーダーにさせられてしまう。そうなると、今度は一兵卒としてではなく、指揮官的な仕事をさせられるようになる。

昇進についてもまさにこれで、一兵卒として非常に優秀にも関わらず加齢によって管理職に上げられ、プレイヤーの仕事はできない(orしない)上にマネジャーとしては全く無能という悲しい状態が生まれている。本人の人望もどんどん無くなっていくし見てて物悲しい。でも関わるとロクなことにならないから距離を置いてる。オトナって冷たいね。

さて、ではこうした組織制度をどうしていくのが望ましいのか?

今までの日本の組織で評価されていたのは、もっぱら「リーダーの仕事」だけだった。それゆえ、リーダーに向いていない人までが必死にリーダーを目指すことになり、不幸なこともたくさん生まれた。この評価方法は改善の余地がある。「リーダーではないが、現場でいい仕事をする人」も、優れたリーダーと同じぐらい評価されるべき存在ではないのだろうか。

正論だ。正論だがめっちゃ難しい。「評価」とは要するに賃金だ。カネを与えないといけない。しかも管理職と同等の賃金にならない限り皆能力の有無に関わらず管理職を目指すだろう。そんなことしたらそもそも職種を分けた意味が無くなってしまうし、生産性で言えば(体感だが)優秀な現場社員が優秀な役職者を上回ることはないだろうし、責任の幅も違う。だから管理職は賃金が高いのだ。

なので、「リーダーを目指さない」という選択肢は、少なくとも従業員側には、無いと思う。選択権がないのではなくて、選択の余地がない。なんだかんだ人は金で動くし、それは悪いことではない。

従業員は基本的に(賃金の良い)リーダーになりたい。でも会社にはポストがない。となれば、リーダーになりたい従業員からリーダーになるべき人間を会社が選定するのが当然の流れだ。

ところがそれまで多くの企業は、そうした選定を怠ってきた。適切な試験も行わず、評価だって印鑑ついた紙が年1,2回人事部に寄越されるだけで、また管理職としての教育もせいぜい就任前後に軽く一回やるかやらないか程度だった。これでは誰がマネジャーとして優秀なのか分かる訳もない。結果「アイツはもう20年もウチで働いてるからなー、大体知ってるだろ多分」とかそういう基準で人を選んだり、分からないから誰でもよくなって「ならアイツはもう20年もウチで働いてくれてるし、昇格させてあげたいな」とか謎の善意でマネジャーが選ばれてしまう。

要するに問題は皆がリーダーを目指していることではなくて、リーダーを適正に選べない会社の人事考課制度の不備が問題なんだろうと思う。その不備の結果として、年さえ見てればいい(しかも何割かは妥当性のある)年功序列という制度が幅を利かせているのではないか。

 

 

話は少し変わるが、ドラマはちっとも見てないのだけれど、この指摘は気になった。

金融日記:ドラマ『半沢直樹』の感想

気になったのは、日本の銀行マンを扱ったドラマだけど、こいつらは勝っても負けても給与はほぼ一定なのに何マジになってんのよ、という話の後、

しかし、しかしである。第3話、第4話と進むに連れて、僕もどんどんこのドラマにハマっていった。面白いと思った。それは日本の銀行の中の人事や出世の仕組みが理解できてきたからだと思う。まるで時代劇やマフィア映画を見るときのように、その組織独特の力学がというものがわかりはじめた。そして、銀行員たちが何を賭けて闘っているのか、理解した。それは、金よりも大切もの。命よりも大切なもの。

プライドだ。

実際に、銀行で出世するか、どこかに出向するかによって、銀行員だけではなく、その妻や子供の序列も、社宅の中や幼稚園の中で如実に変化する。出向させられた銀行員の妻は、他の妻たちに哀れみの目で見られ、本部に栄転した銀行員の妻には、羨望の眼差しが向けられる。行内での上司、部下の関係は、妻同士の交流でも当然のように反映される。そして、出向というのは、家族をも辱めの対象にされ、まさに死刑同然のものなのだ。家族を巻き込んだプライドを賭けた闘争というのは、まるでマフィア映画『ゴッドファーザー』のようだ。

 銀行ほどではなくても、どの会社でもこうしたプライドはあるだろう。「あいつは俺より年下なのに役職についてる。」「あいつは同期だったのに俺より~」そうした感情は絶対に存在する。そして大抵それは耐え難い苦痛らしい。私はペーペーでまだ同期と差がつくほど年月も経っていないが、5年10年すれば如実に現れて私の自尊心を苛んだりするのだろう。

他所の国では割とアグレッシブな人事制度をやってて、年下の上司なんか珍しくねーよみたいな話を聞くが、果たしてこのへんのプライドの問題はどうやって解決しているのだろうか?「俺とアイツで扱いが違う」ということを気にするのがそもそも日本的で他所はそうでも無いのか?そんなことないと思うが、謎だ。

デール・カーネギーか何かで、「優秀だがマネジャーには不向きだった従業員が自身に役職がないことに不満を申し立てたが、彼専用の役職名(名ばかり)を与えたことで満足した。彼が必要だったのはプライドだったのだ。」的な話があった。姑息だが、元々求めているものがプライドならそういう解消方法もアリかも知れない。